ワイヤーアート、人と人がつながっていく喜び―余合ナオミさん
2007年12月05日00時01分余合ナオミさん/Naomi Yogo
ワイヤーアート作家。 http://www.naomiyogo.com/1990年、多摩美術大学美術学部油画専攻立体抽象コース卒業。在学中、ワイヤーアートに出会い、数々のウィンドーディスプレイのオブジェを手がけるほか、近年は雑貨やジュエリーを中心に制作している。NHK教育テレビ「おしゃれ工房」への出演や雑誌への掲載のほか、ワイヤーアートの教室を開講するなど、幅広く活躍中。著書に「ワイヤースタイル」「ビーズ&ワイヤースタイル」(河出書房新社)がある。
みんながあっと驚くようなものを作りたかった
自身のワイヤー作品がたくさん飾られたリビング。
シャンデリアもワイヤーとビーズを使ったハンドメイド。
美大の油絵科に入ったのですが、毎日のように短時間で課題作品を描いていたら、1・2年生の時にスランプになり、絵が好きだったはずなのに描けなくなってしまったんです。
そんなとき、もともとファッションが大好きだったこともあって、友達から「おしゃれをする感覚でモノヅクリしてみたら?」といわれ、気分的にとっても楽になりました。それで3年生から油絵科の立体抽象コースに進みました。なぜかというと、自分が頭の中で作りたいと思っていたイメージは3Dのものだったんですよね。とはいえ、O型でおおざっぱな性格なので、木工のように設計図通りにきっちり作るのは絶対にできない。そんな時、作りたいものがすぐ形にできるワイヤーでの「モノヅクリ」に出会いました。
―以前からワイヤーには興味があったのですか?
昔から兄と父が機械いじりが好きだったので、私にとってワイヤーはとっつきやすい素材だったのと、子どもの頃から金属質の光るものが大好きで。小学校の帰りに、道端に落ちていた釘やボルトなどを集めて「たからもの」と書いた箱に入れていたぐらい(笑)。
―ワイヤーアートをはじめた頃は、大きなオブジェを作っていらしたんですよね?
はい、最初の頃はずっと大きなオブジェを作っていました。古着などが好きだったので、リサイクルセンターで手にいれた古着をカットして縫い合わせ、それをワイヤーの枠にはめた作品なんかを作っていましたね。当時、インスタレーションが流行っていたというか、オノ・ヨーコさんや草間彌生さんなど、ああいう前衛アートの世界に憧れていたというのもあるんですけどね。でも、卒業したら仕事しないといけないから(苦笑)。
(左)牛のオブジェは、1997年東京電力宇都宮テプコでの展示のためにつくったオブジェ。 愛犬カブくんと比べてみても、かなり大きいことがわかる。 (右)うさぎのオブジェは1998年富士銀行数寄屋橋支店ウインドーディスプレーのためにつくったもの。 ワイヤーをはじめた当初から10年くらいは、このような大きな作品を中心に作っていた。 |
―大学卒業後はどうされたのですか?
通っていた美大で働くことになったんですが、ワイヤーアートは続けていたので、その間、アートディスプレイのようなお仕事をいただくようになって。当時はとにかく大きくて、みんながあっと驚くようなものを作りたかったんです。動いたり、光ったり、実はシステムを作るのにもはまっていて、ハンダ付けが好きなんですよね。ワイヤーをハンダ付けして骨組みを作ったりもしました。電気の配線も異常に好きだったので、秋葉原に通っていたこともあるほどです(笑)。
―なんでもできるのですね! 雑貨やジュエリーの制作はいつ頃からはじめたのですか?
結局、大学を離れてからも30代前半くらいまでは、大きいオブジェを中心に手がけていました。でも主人の仕事で東京から名古屋に移ったときに、高島屋全館のオブジェを作るお仕事をいただいて。それを最後に、大きなオブジェから、雑貨やジュエリーの方にシフトしていった感じですね。