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モノホン?

ンドゥクー

更新日: 2004/02/24

こんにちは、突然ですが…。

生産者側とすると同じ物を大量に作ると利益が出ますし、単価も安くする事が出来ます。

一方、お客さんは大量に作られた商品(アパレル商品)では人と同じ物を着ることになってしまうのでうれしくはないでしょう。(ディスカウントのブランド品等は除きます。深い意味で)かと言ってあまりに高いのでは非現実的な商品になってしまいます

矛盾しているこの二つを結び付ける具体的な措置とはなんだと思いますか?

それとも無理だと思いますか?

ンドゥクー

更新日: 2004/03/01 03:53

こんにちは、わたしは「本物」とは創る側と使う側、双方ともお互いを大事に扱う精神により育まれそうな気がしました、皆さんの意見を聞いて。

丸悦郎

更新日: 2004/02/29 10:15

みなさん、このリンク先の「良い物って?」スレも参考になりますので、どうぞ。
「良い物は50年持つはずだ」と言い切られたタバコさん、素晴らしいです。

http://www.open-clothes.com/oasis.jsp?Sm=read&forumThreadId=23064

丸悦郎

更新日: 2004/02/28 15:54

今計算しなおしたら30万円の1%は3000円でした。「破格」では無いのかな?中国でスカート1着100円。今度、中国に行った人に聞いてみます。。。

ポチョムキン

更新日: 2004/02/28 13:52

そういう視点もとても重要です。

ポチョムキン  拝

丸悦郎

更新日: 2004/02/28 13:42

物に囲まれた暮らし、では無く、1万円で裕福な暮らし、かな。中国の場合。

丸悦郎

更新日: 2004/02/28 13:39

私は某社のCAD値段に驚きました。
でもでも私の愛用している(ホントは父の所有物)パソコン環境も既に他の人にとっては「身の丈に合わない」値段かもしれません。

一枚100円のスカート。日本では安い。
一ヶ月の収入が30万としたら割合は0.033%です。
しかし一ヶ月の収入が1万円の国の人にとっては破格の値段です。
10000円の1%が100円。桁が全く違う。

一ヶ月の収入が1万円でも、国によっては「貧しい暮らし」ではないのです。日本と同じ位に物に囲まれた暮らしができます。日本の物価が高すぎるだけです。

1日1個で6000円。これは日本のはなし。

1ヶ月働いて1万円の国。でも暮らし自体は豊か。
物価が安いから。収入が日本人の感覚で少なくても全く問題が無いのです。
その国は、「中国」。

数十年前の日本を鏡に写したようですね。
日本は数十年前のアメリカを鏡に写したようだ、と、
母が申しております。

ずーっと前は、中国から沢山の恩恵を受けた日本。
「遣隋使」「遣唐使」を送って中国文化を学んできた国、日本。
日本は日本だけで、「漢字、ひらがな、カタカナ」全てを0から考え付いたのだろうか?
漢字って、日本独自の「オリジナリティ溢れる商品」だろうか?

日本人の思い上がり、一体どこから生まれたのだろう。
中国に学ぶべきことは、まだまだあるはずです。

とりあえず、靖国神社問題解決あたりから、中国に歩み寄りたいです。

ポチョムキン

更新日: 2004/02/28 02:34

こんにちは。
wayさん、わたしは、本物の定義のひとつは、「持つ人が満足できること」だと思っています。たとえニセモノ、品質の悪いものでも、使っている本人が納得していれば、その人にとっては「ホンモノ」でいいのではないでしょうか。
しかしまたもう一点、個人的には、「作り手」として、自分の作品には厳しくありたい、とも思っています。金額は、現状ではその姿勢を判りやすくはかる物差しのひとつだと考えています。(wayさんが、一日一個の6000円に驚かれたように。)wayさんの感じ方は、「ホンモノ」の感じ方だと思います。

ポチョムキン  拝

way

更新日: 2004/02/27 16:09

ところで先日は「ホンモノについて」のお話は飛んでしまいました。
私が常ずね感じている疑問は、海外の名だたる大ブランドが、こぞって日本市場をターゲットにして進出していますが、今の不況(のはず)の時になぜそこだけ不況じゃないのか?それがホンモノだから?(この場合のホンモノとは、偽ブランド品か本物かとかじゃなく)
心打たれたらどうしても手に入れたいですか?
本当に心に響いていれば・・・?

私は多分、自分の身の丈につりあわない高額なものは買いません。(お金持ちじゃないと言うこともいえるのですが)


すみませんでした。ンドゥクーさんの提起された「本物」への問いかけからずれてしまいました。

以前この池で「良いデザインとは?」と言う論議がなされたことがあるのですが、ある方は「時代にマッチした売れるもの」(少なくとも私一人の解釈です)だと言われていたようでしたが、私は長く愛されるデザインも有るのではないだろうか?と考えます。その点でンドゥクーさんと近いかなと思ったわけで・・・
    

今朝たまたまテレビをつけた時に目に入ったもので、それが何だったのかは解からなかったのですが、縄のようなもので作られた”それ”は、1日1個しか出来ないもので単価6千円だとアナウンサーが言っていて、私は軽く衝撃を受けました。その金額と自分が衝撃を感じたことに・・・

そうです。私自身「お金大好き人間」なのかもしれないと・・・


山にこもって修行でもしたい気分でした。


本物を見抜く目と、作る腕と、考え出せる知恵が欲しいと真面目に思ったりしました。
ずっと自問自答のくり返しなのでしょうけど。

精神論的なことばかりですみません。


新宿方面のことは、私は分かりません。

くどくどと失礼いたしました。

logy

更新日: 2004/02/27 16:02

>「日本最大のニセモノ商品」なんだと思いますか?
 それは、「日本の政治家」。

昔、父が申しておりました。
「日本のは政治家ではない、政治屋だ」

政治家は思想を持っていますが、政治屋は商人です。儲けることしか頭にない。

豊かになり、日々の暮らしにこと欠かなくなると、自分がより豊かになることばかりに関心が向き、ほかのことには無関心になってしまいました。それが政治屋をのさばらせてしまった元凶ではないでしょうか。
そして物の豊かさに反比例して、心はどんどん貧しくなっていきました。

安価でそこそこの品質のものが大量に供給されると、何時の間にやら素晴らしいものを作る人達が消えていました。色んなものが消えていました。
そしてなくなってから気づいたのです、それがとても良いものだったことに・・・。

心が貧しくなると、本物を見極める目が曇ります。だから気がついた人は幸せです。私はそう思います。

ンドゥクー

更新日: 2004/02/26 23:39

おはようございます。
新宿の高島屋で伊勢丹の解放区みたいな催しがこの間あったみたいですね。行かれた方いらっしゃいますか?
四月にもまた予定しているとか…。

丸悦郎

更新日: 2004/02/26 14:53

wayさん、そうなんです。

みんな本当は「お金」では買えない物を求めているのです。ひとの「あたたかいこころ」です。信頼や、友情、愛情。人に対しても、物に対しても。それは、どんなにお金を貯めてもお金をかけても得られないものです。

本当は、「学習塾」などイラナイ。
「東大卒」でも幸せになれる保障は、どこにも無いのに、皆有名大学に入りたがる。大学並みの勉強。大学を卒業した人に「そのまま教えて」貰えれば「大学卒そのまま」の知識が得られます。(今日ちょっぴり得ました。ありがとう)

ところで、「日本最大のニセモノ商品」何だと思いますか?
それは、「日本の政治家」。
政治家は、国民に「その時選ばれた(購入した)」存在であり、国民に「信用されるもの」でなければ、国民の期待通りでなくてはならないはず。ウソや、ニセモノ商品では役に立たない。

最近、「若い年齢の国民」は、政治家を「一生懸命選んでも国民の役に立たないニセモノ商品」であると見破り始めています。だから若年齢層の選挙投票率は上がらないのです。

ちょっと本物の「お味噌や」さん、見つけましたので、リンクしておきます。
ここのお味噌。最近社会に認められ始めています。
「広報活動の上手さ+本物の味の美味さ」の勝利…かも?

ドライビールもニセモノなんですよね…「米」なんて余計なもの、ビールの原材料に使わないで欲しい。「麦芽とホップ」でビールはできるはず。

日本酒、米と麹だけで作られたものを、わざわざ「純米酒」と銘打って商品のウリにするなんて…「他のものはそうではないです」ということですよね?

清酒の原材料に表示してある「醸造アルコール」って…一体何ですか??

ンドゥクーさん…お酒は「適量方向で」お願いします。(ちょっと心配笑)

http://www.sanomiso.co.jp/index.html

ポチョムキン

更新日: 2004/02/26 00:39

おはようございます。
wayさん、はじめまして。わたしも何度かあなたのお名前拝見しております。
「甘いのでしょうけれど……」とのお言葉、でもでも、wayさんのおっしゃる「甘い」は、実現できたらとっても美しい果実ではないでしょうか?厳しい治療を施さなければ快癒しない、という「データ」のほうが、おかしいのだと思います。wayさんは、あまく考えているわけではないと思います。
お金、は、経済社会でのツールです。飲まれてしまっては、なんにもなりません。道具には、道具に相応しい使い方や手入れ法があると思います。消費する、または収入の、「量」だけを見ているから、いけないんです。wayさんの「お金大好き人間」って、そういう人のことでしょうか。……と、わたしは解釈しました。
ンドゥクーさん、確かに今、もの対人の割合がおかしなことになっている、とはわたしも感じていることです。子供たちが、大人顔負けの立派な部屋や衣類、玩具をあてがわれ、大人顔負けの長時間、机に拘束されています。
子供に質の良い「もの」や「こと」を与えることは、悪いことではないと思います。ただ、それがその子供にとって、愛せる品物や行為になりうるか否かは、与えた人の子供への愛にかかっていると思います。
自分の部屋がもらえなくても、秘密の場所をしっているだけで「幸福」を補充できる子供もいます。
ものを愛する、愛用できるということは、その「もの」に対して思い入れを持てるということだと思いますが、それは、ようやく人生をスタートしたばかりの子供たちにとっては、ものに「ものがたり」があるかどうか、それが彼等にとって魅力的かどうかが、ポイントのひとつになる気がします。「机に拘束される」と書きましたが、わたし自身は、むしろ、机が欲しいと思っていました。自分なりに「理想の机」やそれを配置した「自分の部屋」を、なんども拙いスケッチにおこして、そのスケッチを宝物にしていました。現実のわたしは、机どころか自室ももっていませんでしたが、スケッチ帳のなかにそれはありました。
ですから、本が読みたければ、家の裏に放置されていた、壊れた自動車の中に、懐中電灯を持ち込んで、無いなりに集めた書物で出来た、自分の「図書室」で読んでいました。そのとき心は、壊れた自動車に空とぶ力を与え、書物から囁かれるありとあらゆる「知識」はすべて、想像力を掻き立てはぐくむ、「ものがたり」でした。何度も何度も繰り返し読んだ、一冊の漢字字典でも、理科年表でも、です。
お金の流れのこと、経済のこと、全くわかっていないのに、こんなことを書いてすみません。しかし、作り手側がまずその品物を「愛せる」か、それが、買う人にも伝わるレベル・クオリティーを保つにはどうすればいいか、そして買ったひとは、「買った」とき、その品物に「お金」を払ったと同時にものへの「愛」を受け継げたかどうか、が、消費・収入という、「お金」の仕組みを、変えられるかどうかの鍵のひとつに、なりえないでしょうか?

わたしこそ、青臭いことを言っていると思います。
失礼の段、お許しください。

ポチョムキン  拝

ンドゥクー

更新日: 2004/02/25 23:42

おはようございます。
いろいろなご意見がお伺い出来てありがたいです。

結論は人に愛されるものを創ればいいのですが、それを創れるかどうかも解らずさらにそれを埋もれさせてはならず非常に難しい課題なんです。

物が少ない時代ではないからなのだと思うんですが。

昨晩飲みに行った所の店員さんとお話していたら酒蔵の方も閉めてしまう所が多くなってきているのだそうです。
理由はスポンサー(大手酒造メーカーもしくは商社)が付き生産効率を上げる為、画一化した手法で量産をする蔵のみが生き残り、原料や手法に独特の工夫があり個性のあるお酒を造っている所はなかなか生き辛い環境があるみたいです。

お酒の基本は自然の酵母を利用した醸造方法でその酒蔵の立地や手に入る原料の質プラス杜氏さん達の感による物造りだった訳でその出来上がりも失敗もあれば成功もある訳なんですね。

24時間のコンビニでもお酒は売っている時代にいつ出来上がるか分からない(凡そは分かりますが)その出来も分からないでは流通もしないのです。

最後に店員さんがおっしゃっていた事がもっと受け入れられればいいなと思いました。

「お酒なんて飲みつづけなければ分からない。」と。

丸悦郎さんもお気に入りの商品を永く愛用されている様子ですし、ポチョムキンさんのお気に入りのスクールコートのお話も良かったです。
wayさんの「熱を冷ます」という言葉何とか実現できればうれしいですね。なに食べ物やペットでさえ流行のある国ですから相当冷まさないといけませんが…。

way

更新日: 2004/02/25 15:17

初めまして。丸悦郎さんやポチョムキンさんのお名前よく見かけてますが、なかなかお話に加わる時を逸してしまってついて行けなかったのですが、今日はとっても共感を持てたので、寝る時間を少し削ってついに書き込んでみました。

丸悦郎さんのおっしゃる本物は云々のくだりは、読みながら深くうなずいてしまいました。

ンドゥクーさんの「机上の空論」だって、作る側の片隅に居る私も 実現したいと思えるすばらしい考え方だなと共感します。


甘いのでしょうけれど・・・


私達日本人は少しどっかおかしいと思うことがあります。
この辺で少し熱を冷まして冷静に自分たちを見つめ直さなくてはいけなくなってきているのでは・・・と時々感じます。


「お金大好き人間社会」より、もっと安らげる世の中に・・・  (んっもう絶妙な言葉が見つからない)
   
    私は住みたい。  かも。

丸悦郎

更新日: 2004/02/25 13:22

つまり、私の言いたいのは、「ポチョさんみたいに物を物として大切にする人が少なくなりつつある」です。

何でも「使い捨て」。家に戻ればあるのにその場に無いから、便利だから買う「刹那コンビニ的生活」。ゴミや無駄が増えて当たり前です。

物を大切にしましょう。。。。

ポチョムキン

更新日: 2004/02/25 10:18

あの……丸悦郎さんのご意見、とっても素晴らしいと思います。共感、します。
それとは全く関係ない、しかもこの項目に何ら貢献できない話で大変恐縮なのですが、わたし、1000円の服、ずっと大事に着てたりします。品物のクオリティーとか、好みのデザインとか、純然たる意味での着心地とかじゃあなく、思い出だとか、記念だとか、すごく、個人的な気持ちがこもってしまっている「もの」として、いまだにスクールコート、時折袖を通します。あの、傍目にはあんまり、これ、かっこよくないかも……不気味かも……と思います。それに、コートとしてはもう、充分に寿命をまっとうしているのですから、「思い出の品」として、とっておくだけでいいのかもしれないです。スクールコートですから、品質はたかが知れています。それを敢えて着用して外出するなんて、コートに対しても、そのコートの持つ思い出に対しても、また、それを着てどなたかにお会いする場合、その方に対しても、(もう、あちこち擦り切れて、布が薄くなっているような品物なので)失礼なことなんじゃないか?とも思います。が、そのコートを着ると、少し慣れないどこかへ出かけるときや、行き先に不安のある外出のときなど、ちょっと、勇気がわいてきたりするんです。
あの……これはあくまでわたしのことなので、皆さんのお話に反論なんかあるわけじゃないです。全然。
さっくり通り過ぎてください。すみません。

ポチョムキン  拝

丸悦郎

更新日: 2004/02/25 07:04

あ、私の言っている「新品の古着」。
「創ったけれど売れなかった」という「無駄な生産」ではなく、「買ったけど一度も着ないでゴミ箱行き」と同じです。「ブランド品だし売れるかも」で売られたもの。

一度位着て(活用して)欲しいです。。。。せっかく買ったものですし。

「何回か着たけど、もう着られない」でたんすの肥やし化した服の方が、まだ幸せそうです。

丸悦郎

更新日: 2004/02/25 06:29

実現できれば「机上の空論」から「至上の幸福」になりますです。ンドゥクーさんが「本物を」始められたら、皆さんが「市場」が、「幸福」になると思います。(オマケで私も幸福になります)

購入側の「お財布」(予算)もある程度決まっています。例として10万円とします。

1000円の服を100枚でも
10000円の服を10枚でも
100000円の服を1枚でも 
お財布から出たお金は当然10万円。です。

1着10万円の服はそれだけの価値があっても、1000円の服のようには数は売れないでしょう。
しかし1000円の服。数は売れても1000円の価値しかないように思われがちです(本当はどうであれ)。
「1000円だったし、まあいいか。」で粗悪品でも我慢する。最良品でも気が付かないかも?
「1000円だったし、まあ良いか。」で少し着たら捨てられます。あまり大切にはしないでしょう…

いつも思います。「日本人ってニセモノ・幻想に騙されやすい」
キムタク主演の「GOOD LUCK」、ジャンボジェット機のパイロットは何百人もの命を預かりますから、神経をすり減らしにすり減らされ、苦労白髪で年齢よりはるかに年上に見えるのが本当の姿。航空ドラマは大嘘です。私の母は日航の事務員でしたから、航空会社の話に詳しいのです。

片栗粉はジャガイモのでんぷんの場合が多い。

葛湯も原料は葛の粉ではないことがある。

「紅白歌合戦」あの中に「歌だけで」勝負できる「本物の歌手」は何人いるのか?

「原宿」「渋谷」実は、少し苦手です。
都会特有のうるさくて汚い「幻想の美しさ」の場所。
…あたたかい本物のこころが、みつからない。いくら探しても、みつからない。「都会の正体」そんな気がします。「日本の正体」になりませんように。

「着せ替え人形」なら沢山の服を欲しがります。
いい加減な服でも文句は言いません。
私は着せ替え人形ではありません。
100着持っていても着ない服は出てくるでしょう。
本物を1着の方が「私は」うれしいです。

…他人に「着たきりすずめ」と言われようが、自分で選んだ「本物」だから。幸せなはずです。

ンドゥクー

更新日: 2004/02/25 00:52

おはようございます。
丸悦郎さんが言われた「新品の古着」は私の言う「無駄な生産」と同意しますか?

一時に大量に作ることを提案しているのではないのです。
私は長い時間を掛け「創り続けていけるもの」を探しています。
時間の軸を横に取った時、横長の長方形になるマーケットも探しています、あれば良いと思っています。
そこにはまる商品は本物であり本物であるからこそ永く愛用されるべき商品であると思います。

すべての生産品において安心や信頼が無くなってきている今は探し易そうな気がするのですが…。実現できなければ

>「机上の空論」

自分の無能さが身に染みます。(汗)

丸悦郎

更新日: 2004/02/24 15:21

一応誤解のない様追記しておきますが
私の書き込んでいる内容の「リサイクル店」
いわゆる「アウトレット」と呼ばれるものではないです。誰かが「買ったけれど、一度も着ない」で売ってしまったものです。(…何のために買ったのだろう?)

ンドゥクーさんの書き込み、とても勉強になります。
現実的で、「机上の空論」でない分とても解り易いです。

ンドゥクー

更新日: 2004/02/24 07:49

まるでお話をしてるようにレスポンスがいいですね。(生意気だなんて微塵も思いませんのでご意見宜しくお願いいたします。)

丸悦郎さんの言われた「選択肢」の巾は如何に多様なメーカーが優れた技術や生産ノウハウを駆使し市場に商品を供給するかで広がります。

そこで最初に丸悦郎さんが言われている「着たいから着る。」との意見が活きてきます。

本当の生産をしているのは只のお家を利用した縫製屋だったりボタン付けの内職であったり地方に居を構える紡績・染め・織物・プリント・整理加工所であったりする訳で決して原宿や青山で生産される訳ではないのです。その生活観が都内や地方都市その他お客様の求める価値観とずれていってしまえば「無駄な生産」をしてしまうと思いますが、もしこれがマッチし始めたらすばらしくなるのではないかなと思っております。

個々の生活を求め一時Uターン、Iターンと地方に居をかめ生活するスタイルがありましたがそれがうまくアパレルの生産をする人達にも結び付けられれば良いのではないでしょうか?

そして商業圏も広がりを見せ、安定した物作りが出来る環境になってくれたら幸いですね。

丸悦郎

更新日: 2004/02/24 06:56

矛盾しているこの二つを結び付ける…

無理矢理結び付けない方が、「買う側」としては選択肢が広がって良いかもしれません。(うわわわ、生意気ですねぇ〜私。すみません。。。)

ンドゥクー

更新日: 2004/02/24 06:42

早速のお返事ありがとうございます。

前提はデザイン・サイズ共に「同じ物」という事です、何故ならばいずれにせよ宛ての無い(ある程度のターゲット設定は有りますが。)物作りをする訳で…必ずこの人は買ってくれる「お約束」はない既製の物作りだからです。

作り手側も当然購買衝動を基に作っているのが前提でそのセンスがお客様とアンマッチの時が在庫として残り、マッチする時は売りきれとこうなる訳ですね。

さらに丸悦郎さんの「価格」の中にもアンマッチが出てきているんだというご意見。

私が問い掛けた具体的措置とは少し誤解を招く言い方をしてしまったようです。

生産から販売まで手掛けているメーカーさんが僅かですがいらっしゃるようです、私の中ではこれが今の所一番の手法なのかなと思っています。

happy

更新日: 2004/02/24 06:31

こんにちは。
日本国内の生産を安定させる事が重要だと思います。
川上、川中の海外流出を押え、国内の得意とする
オリジナリティに新たなスパイスを加え、バランスを取るシステムが必要です。
小ロット生産で独自の力を発揮する事だと思います。

一言で言うと「メイドインジャパ〜ン」

ポチョムキン

更新日: 2004/02/24 04:58

あ、またしてもとろいことに……
丸悦郎さん、素晴らしいご意見だと思います。

ポチョムキン  再拝

ポチョムキン

更新日: 2004/02/24 04:55

ンドゥクーさん、はじめまして。
わたし、生産とか販売とか、「経済」方面のこと(も)さっぱりわかっていないのですが、
生産する人だって、服を着用しますよね?作る側が、着る・買うがわの身になって考える、単なる売れ行き調査ではない、ディープ・マーケティング(すみません、勝手に造語しました。)どうでしょうか?
それと、「大量に作られた商品」ですが、以前にわたし、
とある100円均一店で、衣料品を見たことがあります!!最初は下着や靴下などが主でしたが、そのうち、下着は下着でも、ブラジャーだとか、さらにはワイシャツ、ネクタイ、そのうち、普通ならどんなに安く(倒産品セール(?)などの限定と銘打った、半分露店のような場所での叩き売り)でも、せいぜい1000円、がんばって800円、そんな雰囲気の、わりと品の良い光沢をもった手論とした感じの素材の、短めのワンピース(共布のスカーフ
つき)まで登場しました。
そういうものが、なぜ、100円になるのか?わたしにはわかりませんでした。そしてそれは売れるのか?も。
あるいは、「販売されているシチュエーション」も、関係あるのでしょうか?

人と同じ物を着る、ということについて、教えていただきたいことがあります。それは、「同じデザインのもの」ということでしょうか、それとも「同じサイズ規格のもの」ということでしょうか。
学校の制服は、「同じデザイン」ですが、「誂え」ますから、程度はともあれ、その人に近いサイズでつくられたものになりますよね?制服のない学校、増えていますけれど。
学校の制服が、社会的に取りざたされた時期がありましたね。個性は見た目じゃない、とか、制服着たら失われる程度の個性なんか、個性のうちに入らないとか、流行と正反対の服装を強いるのが校則のしきたりだとかなんとか、いろいろと。

要素が「サイズ」「デザイン」エトセトラ、なんであれ、
「ここは自分オリジナルを」というひとには、お金か手間の選択肢があって当然だと思います。どちらもいやだというひとは、「全くみんなと同じ」もので、かまわないという方なのではないでしょうか?
すなわち、「服にこだわらない」「服にオリジナルを求めない」「あるものを着る(長いものには……)」

なんだか、散漫ですみません。
ポチョムキン  拝

丸悦郎

更新日: 2004/02/24 04:47

こんにちは。ヘタレ学生悦郎です。
多分創る側は、基本的な「お約束」を忘れています。

ある人が聞きました。「なぜ人間は服を着るのか?」

私の答え。「だって着たいと思うから」
「なんじゃあ、そりゃー!」でしょう。でも本当。(笑)

着たいな、(つまり欲しいな)と思うと「人と同じもの」でも買うことがあります。着たくない、と思うとどんなに(他の人にとって)価値あるオリジナルなものでも絶対に買いません。高くても、安くても。です。

逆に「自分なりに価値を見出す」とそれに破格の投資をするかもしれません。(いろいろ。。。笑)

100円ショップ、大流行です。
格安競争、過熱しています。
その影で、「ブランド至上主義思考志向」もまだまだあります。
さらに「体に合う服、創って!」という声。

「質より量」か「量より質」か?
と聞かれれば
(私は)「量より質」です。
だから、私は現在、既製服はあまり頻繁に買いません。
…見かけ(デザイン)ばっかりで全く体に合いませんから。

リサイクルショップに「購入者が」1度も着ないまま転売する事があります。
「服は自分が着る(活用する)為に買うのでは?」
たんすのこやし、どころの騒ぎではありません。よ。
「ごみ袋に捨てるよりは売れるからまし」な新品の服ということ。

かなしい。でしょう?

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